堺出身の茶人で茶道千家の祖。現在の茶道の原形を築いた千利休は1522年に堺の豪商魚屋の長男として生まれる。後に利休は豊臣秀吉に仕え、茶頭として仕えながらわび茶を大成させ、天下一の茶の湯の宗匠としての地位を高めてゆく。秀吉の側近として利休の権威は絶大で、茶人という枠を超えて政治的役割を担うまでに上り詰めたという。しかし1591年、利休は秀吉の怒りにふれ切腹を命じられ70年の生涯を閉じた。現在も堺の宿院町に利休の屋敷跡がたたずみ、当時の面影を忍ばせる。 ○阪堺線「宿院電停」よりすぐ
千利休屋敷跡 堺市堺区宿院町西1-17-1